名人のブログ
 
モーターサイクルダイアリーズ
 




まぁ今日のテーマは「死」です。
クソ真面目に考えると本が何冊も書けるでしょう。書き上げるのに何十年も掛かるでしょう。
とにかく若造には到底理解しえぬ言葉であるのは明白であります。

何故このような話題を挙げたかというと、身内に不幸があったからです。「不幸」と遠まわしに表現しても大体の人は「死」を思い浮かべるでしょう。
実際そのとおりで、私のオジに当たる人が心筋梗塞で亡くなりました。
この事について今現在、私は悲しいという感情も喪失感も抱いておりません。
今までに会ったことは一回位しかないし、会ったときも特別に話した事もない。おそらく、亡くなった本人も私のことなど覚えていないし、存在自体も忘れているでしょう。
しかし私が自慢できる唯一の人物であったのは確かです。
若くして散り逝く華とは彼のことをさすのだと感じております。

ただ、今回の訃報で私には「死」について考える機会を幾分か与えられたのだと考えております。人間、いつかは命尽きる。そして其れがいつ訪れるのかは誰にも分からない。そんな当たり前のことを再認識しました。そして今、生きている自分についても色々と考える事が出てきました。
多くの人が経験した事を自分も経験しようとしているのだと思います。
そういう点ではわざわざブログの話題に上げるようなことではありません。

訃報を聞いたときは特に感情の変化はありませんでした。もし、両親や兄弟の訃報だったら自分はどう感じているのだろうか・・・
やっぱり泣きじゃくるのだろうか…それとも冷静に振舞うのだろうか…

父方の御祖父さんがなくなったとき、私は小学3年生でした。
その御祖父さんとは良く会って話した事もあるのですが、その当時は始めて見る死人の色の白さに圧倒されていました。
死人の発する独特の雰囲気は文章では表す事ができないくらい複雑です。その冷たさ、白さ、硬さ、臭い・・・明らかに異質なのです。
この前まで歩いていた人間が動かなくなって目の前に寝ている。
その死体を取り巻いて喪服姿の関係者が悲痛な表情で死体を眺めたり、泣きじゃくったり。
私はその時も悲しさを感じませんでした。そんなことより周りの人間に合わせようとか「良い子」だと思われるようにと悲しいフリをしていたのだと今、思います。

愛犬が死んだときに初めて「死」によって感じる悲しさを体験しました。涙が流れるほど悲しくはなかったけれど、確かに悲しかった。本当の悲しさだったと思います。

私のオジはアーティストにしてボディビルダーだったので業界の人やファンの人は悲しむのでしょうね。
おそらく本当の悲しみなのだと思います。


ご冥福をお祈りいたします。
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なーんてかしこまって長文書きましたが、こんなインテリ気取りってテラキモス
昨日の調子の悪さは虫の知らせだったのかも知れない。
でも死亡したのは12/2らしいのだが・・・
とりあえず全部読んだヤシ乙。そして暇人m9(^Д^)乙
やっぱり人間、多かれ少なかれ演出して生きているのですよ。

こんな自分に言いたい。
ガードレールに刺さって氏んでこいよwwwww
刺さったらガードレール様に謝れよ m9(^Д^)プギャー!!


それが名人クオリティ。



12月6日(火)22:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | その他 | 管理

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